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ワンピースが大好きだったのに…
普段のテーマと全く関係ないのですが、どうしても書きたくなったので書きます。今週号のジャンプに掲載されたワンピースの最新話「ルフィVSサンジ」が神回だと、Twitterで絶賛されています。
しかし私は、ある理由からこれが神回とは思えませんでした。神回の要素は持っているけど、違和感のある言動や描写が多すぎて、どっぷりと感情移入することができなかったのです。
私は根っからのワンピースファンで、小学生の頃からワンピースだけは毎週ジャンプをチェックし、単行本も全巻購入して読み続けてきました。セリフを丸暗記してしまうほど何度も読み返しているし、一コマずつ模写してセルフ漫画を作っていたこともあるくらいワンピースにハマっていました。
「アラバスタ編」が終わった頃、七武海を1人倒すのに合計10巻分ほど使っていたので、最終回の頃には100巻は突破するだろうと友達に言ったら、そんなに続くわけないと鼻で笑われたのを今でも覚えていますが、どうでしょう、七武海を倒すペースこそ関係こそありませんが、最新83巻が発売されるこのタイミングでも、100巻では到底終わりそうにありません。
だいぶ前の尾田先生のインタビューで、「本当はもっと早く終わらせるつもりだったけど、続けているうちに広がってしまったので、自分で広げたからにはちゃんと責任をもってまとめるようにしたい」といった趣旨のコメントがありました。これを目にしたとき、いやいや早く終わらせようとか考えなくていいからずーーーっと描き続けてください!! と心の底から思いました。それこそ100巻以上続いて欲しいと。
ラストシーンはすでに決まっていて、そこに向かうためのストーリーもまったくネタ切れしないどころか、読み進めるほど深みが増していくし、伏線の張り方も回収の仕方も絶妙。キャラクターの描き分けも個性の出し方もうまくて、見せ場のシーンでのセリフのキレも抜群。笑いを取るのもうまい。そんなワンピースがつまらなくなるわけがない。永遠に描き続きてもらっても、ずっとファンでいられる自信がありました。
『バクマン。』で、「理想的な漫画は、日常を描いてるだけで面白い漫画ではないか」と「シュージン」こと高木秋人が言っていますが、まさにその通りで、キャラクターと世界観に魅力があれば、何の事件が起きてなくても、平凡な日常コミュニケーションを見ているだけでファンとしては十分楽しめるんですね。島と島を航海する間のキャラクターたちの何気ないやりとりは、ワンピースの大きな魅力の一つでしょう。
だから尾田先生には「早く終わらせよう」などと考えず、できるだけ長く描き続けてほしいと思っていたんです。それくらいワンピースの大ファンで、それ自体は今でも変わらないのですが、ファンだからこそ、ここ数年の「異様さ」に我慢ができなくなってしまいました。
ワンピースの何が変わってしまったのか?
具体的に言えば「新世界編」に入ってから違和感を抱き始め、「ドレスローザ編」に入ってからは、もう読み進めるのが辛いレベルでワンピースの魅力が失われてしまったと感じるようになりました。
ドフラミンゴが初登場して以来、彼との直接対決を心待ちにしていた私としては、昔のままの、ドキドキ、ワクワク、ハラハラさせてくれるワンピースとしてこの闘いを読みたかった。こんなに心に響かない形で「ルフィVSドフラミンゴ」を見たくなかった。。
編集者が変わったのか、尾田先生が変わってしまったのか、あるいは「2年もあれば人は変わる」ということで「新世界編」から意図的に変えているのかはわかりませんが、「2年後」のワンピースのキャラクターたちは、自分たちの意志や感情によって動くのではなく、作者の意図によって動かされるようになってしまったと感じるのです。
まるでストーリーを進めるためだけに、誰かに決められたセリフを言わされ、動かされている操り人形のように。
またキャラクターの心情が、「新世界編」の前と後でポッキリと途切れてしまっているようにも感じます。「お前そんなこと言うキャラじゃなかっただろ?」「そんなダサいセリフをカッコつけて吐くようなみっともないキャラじゃなかっただろう?」と感じるシーンが頻発しているのです。それによって、これまで培ってきたキャラクターたちの魅力が少しずつ失われているように感じます。
その結果、最近のワンピースは、私の中でキャラクターたちの言動がまったく響かない漫画になってしまいました。
これまでは、キャラクターの心情が先にあって、それによってキャラクターが動き、その結果としてストーリーが進んでいくという感覚がありました。
だからこそ感情移入しやすくて、読者はキャラクターの心情を察し、「この心情だったらこう動くだろうな」と予測しながら読み進め、しかしその予測を上回るセリフや展開が次々と生み出されることに、尾田先生すげえ、ワンピースおもしれぇと興奮していたのです。
しかし最近のワンピースは、キャラクターの心情を察する余白を読者に与えてくれません。ご丁寧にキャラクターたちが自分の心情、あるいは他のキャラクターの心情を、すべて「言語化」するようになってしまったのです。
ドレスローザ編は特にひどいものでした。以下めちゃくちゃ長くなりますが、私が違和感を覚えたシーンについて、その理由と合わせて解説します。ワンピースを深く読み込んでいる人であれば共感してくれる人いるんじゃないかなぁ。
※「ドレスローザ編」がつまらない理由、更新しました!
ドレスローザに到着し、おもちゃが動いているのを見たときのルフィの反応「うーん おもちゃ動いてっけどまぁいいや! とにかく飯だ!!」
↑このセリフを一コマで全て言わせるあたり、話を展開させるために強引に言わせてるように感じませんか? ルフィは目をつぶって腕振り上げながら「う〜ん!!」とかいうキャラじゃないでしょう。
ドフラミンゴに操られたベラミーを「ぶっ飛ばして気絶させろ」と言われたとき、ルフィが「できるわけねぇ!友達だ!」と言ってしまうシーン。
↑いやいや、いつから「友達」と呼ぶほどの関係になったんですか。。久々に再会して、(スカイピアの住人たちに)「何もしてねェだろうな!!」って聞いたルフィに対し、イキりながら「さァな」って返してきたヤツですよ?
「もうお前を笑わない」の一言だけで友達になっちゃうんですか? その後ベラミーがルフィの前でしたことといえば、「残虐」「凶悪」と言われながらザコキャラを一掃した末、バルトロメオにボコボコにされて「キングパンチ」で吹き飛ばされただけなのに、なんでルフィの応援対象になったんでしょうか。。
負けた姿を見て「変わったよベラミー」って…なんでこいつにだけ急に優しい言葉かけまくるのか意味不明です。ほんとルフィとベラミーの友情の芽生え方ってまったく感情移入できないんですよね…。
あまりにも薄っぺらいし、読者の感動の沸点を甘く見積もりすぎだと思います。
「ドフラミンゴに虫けらのように扱われる可哀想なベラミーを救おうとする(敵味方関係なく)心優しいルフィ」を描きたいがために、強引に友情を芽生えさせたようにしか見えないのです。
も一つ言うと、上記ページのドフラミンゴのセリフも違和感しかありません。
まずワンピースでは「死」という言葉が軽く扱われすぎているので、基本的に誰も死なないと読者もわかってるわけです。
つまりドフラミンゴが「もう一発であの世行きだろう…いい最期じゃねェか…!!」って言ったって、何の脅しにもならないんですね。
ルフィはずっとそういう世界で生きてる(どんだけボコボコにされても死なない人が身の回りに大量にいる)んだから、ぶっ飛ばしてとめてやればいいじゃないですか。
過去にバギーと戦う際、何の罪もない町長さんを「邪魔!!!」って言って気絶させるという上策をやってのけたのに、読者が共感できない「友達」をぶっ飛ばすことには「できるわけねェ!!!」と抵抗するという…全然ルフィらしくない言動です。
ルフィがルフィらしくぶっ飛ばした後に、読者の想像を裏切るセリフや展開に持っていってくれるのが尾田先生だったのに、あまりにも短絡的かつ形式的な展開でガッカリです。
おそらく読者のこうしたツッコミ(どうせ死なないんだからぶっ飛ばせばいいのに)を想定して、「あと一発であの世行き(=ほんとうに死にそうな状況)」なんです、だからぶっ飛ばすわけにはいかないんです、ってドフラミンゴに説明させているように見えるんですよね。。
で、最終的には顔面に拳の跡が残るくらいぶっ飛ばしたのに、やっぱり死ななかったじゃないですか(笑) もう何がやりたいのかワケがわかりません。
読者がみんな「絶対死ぬわけない(笑)」って思ってる中で「死」を脅しに使われても、茶番にしか見えないから感情移入できないんですよね。。
また、ローの「弱ェ奴は死に方も選べねェ」ってセリフも、ドフラミンゴから教わったものだったってことになってドン引きですよ…。
↑ローはドフラミンゴを恨んでたのに、そいつの教えをこんなドヤ顔で自分の決め台詞のごとく使っちゃうんですか…?
ドフラミンゴから教わったって設定、絶対いらなかったですよね? 確実に後付けですし、なんでローの言葉のままにしておいちゃいけなかったんでしょうか。読者から「伏線すげー」って言われたかったんでしょうか?(キャラの心情や言動との整合性が取れなくなる不要な設定にしかならないのに..)
その後、不本意にもベラミーとタイマンをしなければならなくなったルフィが、ベラミーの男らしさを言語化するシーン。
ルフィって「男らしさ」を言葉にして語るタイプでしたっけ。。そして戦う意味のない戦闘で、こんなに熱心にしゃべりまくって相手を止めようとするタイプでしたっけ。。「ウソつけ!!こうするしかねェんだろ!!! “男”だもんな!!!」って、果てしなくダサいセリフだと思いませんか。そんなことベラミーだって言われたくないでしょう。
ベラミーもベラミーです。「いや本望さ もう一人だけおれが憧れた男に…引導を渡されるんなら!!」って…(笑)
ジャヤであれだけ笑い者にしておいてどの口が言うんだって話です。空島に行って価値観が変わったのはよいですが、久々に会ってコロシアムで応援されて、ドフラミンゴの前で「友達だ」って言われただけで「憧れ」の対象になるって…(笑) 失笑を通り越して真顔になるわ。
こういうキャラの本質からズレた無駄に「クサい」セリフが、キャラクターの魅力をどんどん壊してしまうんですよね。。
しかもこのシーンがある779話のタイトル「最期のケンカ」なんです。わざわざ「最期」って書いておきながら、死んでないし。「最期」の意味わかってるんでしょうか…。編集者も含めてみんなバカなんですかね?
ほんとにもうこのシーンは私が添削・編集したいくらいです。
ルフィVSドフラミンゴの決め台詞「おれは息がつまりそうだ!」
↑「おれは息がつまりそうだ!!!」って…いや知らんがな、って話なんですよ。
ドフラミンゴをぶっ飛ばす理由って、ルフィが息がつまりそうだからなんですか?(笑) アラバスタの時にビビのために発した「もっと笑ってられるはずだ」とか、「おれはお前を超えていく」と比べて、この意味のわからない決め台詞…きちんと練った上で決めたんですかね? よく編集者はこれでOKを出したと思います。
尾田先生自身、ルフィがなんでドフラミンゴと闘ってるのかわからなくなってしまったんじゃないでしょうか。息が詰まりそうだから闘ってるってまじで意味わからんし決め台詞になってないでしょう。
ルフィVS藤虎で、藤虎が自分の目を閉じた理由やルフィの魅力について語りまくるシーン
↑このセリフがほんとにもう気色悪くて耐えられません…。「敵味方問わず、全ての人を惹きつける器のルフィ」って印象にしたいんでしょうけど、こんな露骨かつ執拗に言語化されてしまうと寒気しかしません。
「あんたいったいどんな人だい…?」「髪の色は?」「目の形は?」「どんな顔してんだい?」「目ェ…閉じなきゃよかったな あんたの顔──見てみたい…」「優しい顔してんだろうね」──1人で勝手に語りすぎだと思いませんか?
藤虎がルフィに好感を持っていることを伝えるために、ここまで言語化する必要なんてないんですよ…。特に「あんたの顔──見てみたい…」と「優しい顔してんだろうね」は確実にいらない。
藤虎というキャラクターから自然と出た言葉というよりも、国民的人気キャラクターのルフィの魅力を読者にわかりやすく説明するために、尾田先生がしゃべらせているように感じちゃうわけです。藤虎のルフィへの好感を描くなら、もっと藤虎らしい、「粋」な表現で見せてくださいよ。。
「親子の盃」をルフィが断るセリフ「だからよ!! 俺は海賊王になるんだよ!!! 偉くなりてェわけじゃねェ!!!」
↑これに関しては、まずルフィが目を閉じながら「だからよ!!」とか言ってるのがもう違和感でしかありません。これまで飄々と「海賊王になる」と言い切ってきたのに、こんな声を張り上げながら「何になるか」を説明し直すなんてダサすぎます。
そもそも誰も「偉くなれ」なんて話してないのに、勝手に解釈して目つぶりながら「”海賊王” になるんだよ!!!」「偉くなりてェわけじゃねェ!!!」って叫ばれても…。
そりゃみんなのリアクションも「??」になりますよね。言葉の意味がわからないというよりも、単純に「いやそんな話してないだろ…どうした急にお前(笑)」って感じですよ。
シャボンディ諸島での「支配なんかしねェよ この海で一番自由な奴が海賊王だ!!!」というセリフは、素人には絶対に思いつかない見事な一言だったのに、なんでそれにまつわる重要なシーンでこんな「らしくない」意味不明なセリフを言わせてしまったのか。。
ドフラミンゴ撃破後、懸賞金の上がった手配書を見たときの一味のリアクション(特にフランキーとウソップ)
↑もうこれ完全にフランキーとウソップにしゃべらせすぎだし、コメントが説明的すぎて不自然です。こんなリアクションするのはSBSの尾田先生だけで十分。。普通1つのリアクションで1人でこんなにしゃべり続けるなんておかしいでしょう。
身近な友達に言わせてみてくださいよ。鬱陶しくて最後まで聞いてられませんよ。
で、フランキーがウソップの懸賞金に嫉妬する描写も、どうでもいい情報なのにしつこいんですよね。。
↑このシーンのウソップ・フランキー・ローのやりとり、ほんと余分です。なぜってセリフ自体がキャラに合ってないし、会話のつなげ方が強引だし、リアクションもどうでもよくて、ただの雑音にしかなってないからです。
なんで「○○屋」って呼ぶキャラだったローが急に真顔で「ゴッド」って呼び出すのかわからんし、「照れる〜”2億の男” 照れる〜」とかウソップらしくない薄いコメントで尾田先生に言わされてる感満載だし、それをフランキーが睨みつける絡みもしつこいし…「『大将クラス』がチェック済みだろう」ってわざわざ本題(「待てゴッド」と止めた理由)と関係ないツッコミをしてから本題に入るのもローっぽくないし、もう説明するのも嫌になるくらい不自然で面白みのない無駄なやりとりの連発です。
そもそもドレスローザでドフラミンゴに星5つ(5億)の懸賞金をかけられたときは、「金額が高い=強いやつに狙われる」ってことを即座に理解して驚愕の顔をしてるし、2億の手配書を見たときも「狙われるー!!」って言ってるのに、そこに考えが及ばない(忘れてた)という設定を入れるのも不自然です。
まぁどっちにしろ「雑音」なんですけどね。
ウソップというキャラクターがワンピースの世界を生きている中で発した言葉ではなく、尾田先生のなんとなくの思いつきや小ボケでしゃべらされただけに感じちゃうんですよね。。
こんな強引な流れで無用な会話をさせるくらいなら、これらのやりとりまるっと削って本題の方を進めればいいのにと思わずに入られません。
おそらく尾田先生自身、キャラクターが増えすぎて、一人一人に深く感情移入して、感情に合わせたセリフや行動を考えることができなくなっているのだと思います。
この他にも、不自然な点はドレスローザ編だけで山のようにありますし、この先のゾウ編、ビッグマム編にもツッコミたくなるセリフ、行動は多々出てきます。(もちろん「さすが」と思うシーンやセリフもあります)
総じて、キャラクターたちに無駄にしゃべらせ過ぎ、何でもかんでも言葉にして説明し過ぎだと感じるんですね。
前置きが非常に長くなりましたが、今週号の「ルフィVSサンジ」についても、同様の理由から、どっぷりと感情移入をすることができませんでした。
「ルフィVSサンジ」のシーンの違和感
サンジが子どもの頃に切ったはずの血縁、ヴィンスモーク家からゼフを人質に取られ、両手に爆弾付きのブレスレットをかけられ、言うことを聞かなければ料理人としての師はおろか、自分の両腕も失い、一生料理が作れなってしまうという状況に追い込まれたサンジ。
ビッグマムの娘との政略結婚の式に向かう途中に、ルフィとナミが連れ戻しにやってきたというシーンです。
もちろんルフィもナミもサンジの事情については知りません。だからいつものように気ままな笑顔で「迎えにきたぞサンジ〜!!!!」と声をかけます。
それに対してサンジは、ルフィを追い払うために心ない言葉を並べ、「悪魔風脚(ディアブルジャンブ)」を発動して、本気で蹴り飛ばします。ルフィは抵抗せず、倒れることもせず、サンジの強烈な蹴りを受けながらも耐え続けますが、最後に思いっきりかかと落とし(コンカッセ)を受けて、ついに倒れてしまいます。
それを見て立ち去るサンジに対し、ルフィは立ち上がり、サンジとの出会いのシーン(オールブルーについて楽しそうに語るサンジ)を思い出しながら、叫びます。
「旅はまだ途中だぞ!!!
必ず戻って来い!! サンジ--お前がいねぇと…!!
おれは 海賊王になれねェ!!!!」
——
すばらしいシーンです。泣く人が続出するのもわかる感動の名シーンです。
……もし、これくらいシンプルにまとめてくれていれば。。
つまり読者にキャラクターの心情(言葉にしない内面)を想像させる余白を与えてくれていれば、私も涙腺崩壊して、このエピソードはワンピース史に残る神回になったと思うんです。
でもこのシーンには、ファンとしては見過ごせない、聞き逃せないような余計なやりとりやセリフ、描写がたくさん入ってしまっているんです。。
私が最も見逃せなかったのは、「お前が『海賊王』になれるかどうかも…疑わしいってのが本音だよ」というサンジのセリフ。
たとえゼフを守るため、麦わらの一味を守るための「嘘」だとしても、これだけは言って欲しくなかった。。というか、言わせる必要がないだろうと思ってしまった。ルフィを突き放し、追い払うための「嘘」なら、他にいくらでも言えるはずです。
麦わらの一味を抜けることになろうが、両手を失うことになろうが、死ぬことになろうが、ルフィの夢だけは否定しない、疑わないという姿勢だけは最後まで貫き通して欲しかった。誰もがわかる「嘘」だとしても、言葉にすらして欲しくなかった。
ウソップは、ルフィと大喧嘩して一味を抜けようとするときでさえ、ルフィが海賊王になることは疑わなかった。そこがものすごくよかった。
そもそも、サンジが一味を抜けることとルフィが海賊王になれるかどうかはまったく関係ないじゃないですか。サンジはいつから海賊王になれそうな船長の船を選ぶヤツになったんですかね。。そう思わせるような言動がこれまでに一度でもありましたか?? 一味を抜ける理由として成り立っていないわけだから、間違いなく言わせる必要のない言葉です。
百歩譲ってこの言葉を吐くとしても、もっと「絶対に言うべきではない重い言葉」として扱って欲しかった。この言葉を言うことに、もっと葛藤して欲しかった。読んでびっくり、ものっすごく簡単に、最後の見せ場シーンへのつなぎのようにあっさり言い切りますよ。
それに対するルフィの反応も、「じゃあ…ずっとおれをダマしてた事になる…!!」とありえないほど薄い。ダマしてたわけがないことくらいどちらも分かってるのに、このセリフ、本当に必要でしょうか…?
こんなセリフを言わせるくらいなら、無言でサンジを睨みつけ、それが嘘だと分かっているからこそ、その真意を探るようにサンジの次の言葉を待つような描写で十分だったのではないでしょうか。。
そうして嘘を見抜かれた表情で見つめられ、本心の言葉を待たれ、しかしルフィを追い返すための言葉が思いつかず(説明することができず)、力づくで追い返すしかなくなってしまった。
そのように描いた方が、サンジがルフィを蹴り飛ばさざるを得なかった「葛藤」や、蹴りたくもないのに蹴り飛ばしてしまった「痛み」が表現できたはずです。
なんとそんなサンジの「痛み」は、ルフィが代弁してくれています。「おれの事蹴るだけ蹴っても!! 痛ェのはお前だろ!!!」って…どれだけダサいセリフなんですか…。ルフィは人の心の痛みを察して代弁するようなタイプじゃないでしょう。。
サンジの「痛み」は読者にだけ伝わるように描いて、ルフィはシンプルに「どれだけ蹴飛ばされても立ち上がり、サンジが戻ってくることを疑わない(それは自分が海賊王になるためにはサンジが必要だから)」という構成にした方が絶対に良かったと思うのです。
サンジは最終的には戻ってくるでしょう。でも、たとえ「嘘」の発言とはいえ、ルフィの夢が叶うことを信じていないような発言をしたサンジは、この先どんな顔をしてルフィが海賊王になることを見守るんでしょうか。
「あれはお前らを本気で追い払うために、仕方のない嘘だったんだ。当然分かってると思うけど、本当はそんなこと思ってないぞ」と、何もなかったことにできるんでしょうか。。仲間(しかも船長)の夢を疑うっていうのは、麦わらの一味にとってそんなに簡単なものなんですかね。。
あるいはなんらかの「ケジメ」をつけてルフィに謝罪するんでしょうか。それはあり得る気もしますが、そんな無駄にややこしいシナリオにしないで、シンプルに「ルフィが海賊王になることだけは疑わない」という絆の強さを描いた方が、よっぽどワンピースらしいと思いませんか。
この一言を、主軸メンバーであるサンジに躊躇なく言わせてしまったことのもつ意味は、私にとって果てしなく重いのです。。
その他にもたくさんのツッコミポイントがあります。
ルフィの歯が折れてしまう
まぁこれは、過去にも頻繁に折れてるから今更というのはあるんですけど、ギャグシーンでナミにボコられて折れるのとは違って、こんなシリアスな、ワンピース史に残る重大なシーンで歯を折る必要があったのかと感じます。
しかもサンジがルフィの顔面を蹴飛ばした時に、「ボキッ」という音とともに折れる描写になってるんですよね。で、結局すぐ生えてくるわけでしょう?
サンジが本気でルフィを蹴り飛ばしたことを伝える描写、ルフィの受けたダメージの大きさを伝える描写としては効果的なのかもしれませんが、それだけに、すぐに生えてきたらこの描写が茶番にしか見えなくなっちゃうじゃないですか。。
歯を折るなら、絵だけで勝手に抜いておいてくれればそこまで気にならなかったんですけど、普段「ボキッ」なんて歯が折れたことを伝える効果音を入れないのに、あえて強調しているからこそ気になってしまいました。
歯が折れたことさえ、いちいち効果音で説明しちゃうんですね。。
ルフィが「おれはお前の作ったメシしか食わねェ!!!」と言ってしまう
いやこれ、絶対ウソじゃないですか…。今後「宴」のシーンで、サンジ以外が料理を作る描写をしないってことなんですかね? ルフィもサンジ以外の誰かから料理を出されたら「おれはサンジの作ったメシ以外食わねェって決めたんだ!!」って言うんでしょうか。。
そんなのただのめんどくさい主人公だし、もしふつうに何事もなかったかのように食べるとしたら、このセリフが重みを失って、このシーンが一気に茶番になるじゃないですか。。
「サンジが迎えにくるまではサンジの作ったメシ以外食わねぇ」ってことなのかもしれませんが、だとしたらサンジを呼び戻すための決意の言葉としては、あまりにも弱くありませんか。。
「今後サンジが作ったメシ以外は食べない=サンジが必要だから帰ってきてくれ」って意味なのかと思ったんですが(そんなの絶対に嘘だからこの言葉自体不要なんですが)、敵地(それも四皇の本拠地)に乗り込み、そもそも満足にご飯が食べられるかどうかわからない状況なのに、「サンジが帰ってくるまでの数日間、サンジが作ったメシ以外食べない」って…どれだけ安い決意表明なんですか。。
ってか餓死するくらいならお前が力づくで連れ戻しに(奪い返しに)行けよって話です。ルフィってそういうヤツだったじゃないですか。何度跳ね返されても、気にせずにまっすぐぶつかっていくヤツでしょう。ナミの時だって、ロビンの時だってそうだったじゃないですか。相手が四皇だろうと、そこは変わらないはずでしょう。何で「餓死するまで待ってる」なんてしみったれた結論になるんですか。。
「待ってろサンジ!! 何があったか知らねぇけどな!!(四皇と全面衝突になろうとも)おれはぜったいにお前を取り返しにいくぞ…!!」のほうがずっとルフィらしい発言だと思いませんか。
そもそもルフィがサンジを買ってるのは料理だけじゃないはずです。その戦闘力や頼りがいもあって「お前がいねぇと…!! おれは 海賊王になれねェ!!!!」ってなるわけじゃないですか。
「お前がいねぇと…!!」にはコックとしての役割だけでなく、頼れる戦闘員としての役割も含まれているわけです。それがわざわざ料理だけをピックアップして、餓死を脅しに使うもんだから、「お前のメシがねェと…!! おれは 海賊王になれねェ!!!!」って話になってしまうわけです。
ヴィンスモーク家での幼少期にサンジが作った料理を「ネズミのエサ」だとバカにされた過去と、ルフィが自分の料理を認め、求めてくれていることを対比して、安っぽい感動を誘うおうとする魂胆が見え見えで、無駄な雑音を増やしすぎです。そんな後付けの御涙頂戴設定ほんとにいらないんですよ。。
「待てサンジィ────ッ!!!」
「こんなもんでおれを追い払えると思ってんのか!!? フザケンな!!!」
「旅はまだ途中だぞ!!!」
「何があったか知らねぇけどな!! おれは四皇と全面戦争になろうとも、お前を取り返しにいくぞ…!!」
「ハァ ハァ」
「絶対に戻って来い!! サンジ───お前がいねぇと…!!」
おれは 海賊王になれねェ!!!!」
って感じの方が、よっぽどルフィらしくてかっこいいシーンになったと思いませんか。。
ナミがサンジを呼び捨てにして引き止め、引っ叩き、「さよなら ごめんね余計なことして……」と告げる。
ナミとサンジってこんな薄っぺらい関係だったんでしょうか。グランドラインに入る前からの初期メンバーとしてこれまで一緒に旅をしてきて、命を懸けながら一緒に闘ってきた、強い絆で結ばれた「仲間」ですよね?
少なくとも長年作品を愛してるファンからすれば、そういう感情移入の仕方をしてきているはずです。「この一味の絆は簡単には切れない。誰もが心の底からお互いを信じ合っていて、疑うことなんてしない」と。
なぜナミはサンジの事情を知らないのに、表面的な言動を見ただけでこんな行動に至ってしまったんでしょうか。。
ストーリー上、先にヴィンスモーク家との過去について描かれているので、読者はサンジの事情を知っています。一方、ナミとルフィは何も知りません。でも、仮に何も知らされずにいきなりこのシーンが描かれたとしても、サンジの行動の裏には絶対に何かある、これは本心じゃないなんてこと、読者にだってわかります。
なぜナミだけが信じられなかったのか…? これこそ、尾田先生がこれまで描いてきたキャラクターたちの心情や人間性、絆の深さを無視、もしくは忘れて、演出優先、展開優先で進めてしまっていることがよくわかるシーンではないでしょうか。
要するに「ルフィは絶対に仲間を疑わない。サンジの本心も全部わかっている。どれだけ本気で蹴飛ばされてもサンジを信じ抜く」という構図を効果的に見せるために、ナミは利用されたように映るのです。
「あのナミが、サンジを呼び捨てにして、引っ叩いた…!」「それほどサンジが本気で一味を抜けると信じ込ませてしまう迫力があったのか…」「大好きだったナミに “さよなら”と言われるサンジ、どれだけ辛いんだ…」という読者の反応を期待しているかのように…。
でも、サンジは嘘をついていて、そうせざるを得ない状況に追い込まれていることなんて、誰だってわかるわけです。これまで一緒に旅してきた仲間なら尚更でしょう。
なぜルフィもナミも、どちらもサンジを信じるという描写にしてはいけなかったんでしょうか。これまで描いてきた仲間たちの絆を見れば、そっちの方がずっと自然だし、キャラクターたちの心情を優先して物語を進めているように感じます。
もっと細かく、キャラクターの深い心情に合わせたセリフや行動を選んでくれよ…と思わずにはいられません。
過去にはナミ、ウソップ、ロビンが一味を抜けようとするエピソードが描かれていますが、このようにキャラの本質にそぐわないようなセリフや行動をさせられた人は一人もいません。ナミのときはゾロ、サンジ、ウソップそれぞれが、自分の性格と、ナミとのその時の関係性に合った言動をしていました。ウソップのときも、ロビンのときもそうです。しっかりと、一緒にいた時間や培ってきた絆が反映されたセリフ・行動になっていました。
しかしサンジに対するナミの言動は、あまりにも表面的で薄い。普通に読めば、「どんな事情があったとしてもルフィをここまで痛めつけたサンジに怒って引っ叩いた」ととるでしょう。あるいは「どんな事情があったとしても自分たちを頼ってくれずに突き放そうとするサンジに怒って」なのかもしれません。
いずれにせよ、その「事情」の重さに想像が及ばなかったように見えるナミに、これまで培ってきた絆はなんだったのかと感じてしまうのです。
「サンジくんがここまでするほどの事情ってなに…!? 一体なにが起こってるの…!?」と脅威に満ちた表情をする方が、まだしっくりきます。ナミはそれを言葉にはしないけど、サンジを疑う余地すらもってないということが、それだけで伝わります。
というか、状況的に「四皇に脅されていて帰れなくなっている」ことくらい想像がつくでしょう。ゾウでペコムズからも説明されてたじゃないですか。
ナミはそういう頭の良さを持っていたのに、「新世界編」以降、ただの奇形乳のお色気担当ぶりっ子痴女に成り下がってしまい、本当に残念です。。
もしかしたらナミにはナミの意図があって、サンジに深い事情があることは分かった上で、あえてサンジを突き放すような素振りを見せただけなのかもしれません。そしてこのあと、ナミの行動の真意が描かれるのかもしれません。
仮にそうだとしても、この「ルフィVSサンジ」の名シーンの雑音となるような、読者をヤキモキさせてしまうだけの伏線を、このタイミングで挟む必要が本当にあるのでしょうか。。
私にはどうしても、ルフィの見せ場のセリフを際立たせるためにナミが利用されたようにしか見えないのです。
ここまで説明してきたように、とにかく最近のワンピースは、余分なセリフや描写が入りすぎていると感じます。
基本的なセリフを変えないとしたら、
「待てサンジィーーーーッ !!!」
「こんなもんでおれを追い払えると思ってんのか!?」
「フザけんな!!!」
「…旅はまだ途中だぞ!!!」
「おれはここで待ってるから!!! 必ず戻ってこい!!!」
「お前がいねぇと…!! おれは海賊王になれねェ!!!」
ルフィにしゃべらせるセリフは、これくらいでよかったと思いませんか。あとはキャラの表情や回想の間で、読者にそれぞれの言葉の余白を想像させてくれればいい。
ルフィはサンジに「言いたくもねェ言葉並べやがって!! ウソつくんじゃねェよ!!」と言いますが、これもこの上なくダサい。サンジが嘘をついているとルフィが気づいていることくらい、わざわざ言葉にしなくたってサンジには分かっているはずです。
サンジの言うことを全く聞き入れず、「ここで待ってる!!」と言うだけで、「サンジが言いたくもない言葉を並べて嘘をついていることをルフィが見抜いている描写」としては十分ではないでしょうか。
サンジだって、ルフィが「ここで待ってる!!」と言えば、絶対に待っているヤツだってことは分かっています。わざわざルフィが「腹が減っても!!! 槍が降っても!!! ここを動かずお前を待ってる!!!」なんて、言わなくたってわかるんですよ。。「槍」とかなんで出てきたのかよくわからんし。。どこかで槍が降る伏線ありました?
空島編で、モンブラン・ノーランドにカルガラが放ったセリフ、「また来る日のお前の船が海で迷わないように!!! 嵐の中でもこの島を見失わないように!!! 鐘を鳴らして 君を待つ!!!!」のもつ破壊力に比べたら、あまりにも弱い。。
ルフィに言わせるセリフとしても不自然極まりないです。
最近のワンピースは、おそらく読者をわかりやすく感動させるために、読者の頭の中で想像させることを許さず、全てキャラクターたちが丁寧に「言語化」するようになってしまいました。それも、そのキャラクターが(「新世界編」以前には)言いそうにもない言葉で。
そのせいで、すごく無駄な情報が増えたと感じてしまうのです。
ワンピースがおかしくなった原因は?
これはもう、シンプルに集英社が尾田先生を働かせ過ぎだからだと思います。
週刊連載ってだけでも激務なのに、巻頭カラーは多いわ「ジャンプ流!」やらイラスト集やら記念イベントやらでとにかくカラーの描きおろしをさせまくるわ、ひいては映画の総合プロデューサーまでやらせるわで、とにかく尋常じゃないくらいの仕事を振っている。熊本のキャンペーンのように尾田先生が自発的に行なっている企画もあるでしょうが、それでも明らかに仕事のさせ過ぎです。
こんなに仕事が詰まっていたら、本来もっとも重視すべき本編のシナリオを、推敲して吟味してムダを省き、言葉一つ一つを極限まで研ぎ澄ませることなどできるはずがありません。明らかに絵も雑で汚くなっているし、セリフにキレも深みもなく、キャラクターの心情も細かく描ききれなくなってきています。
それでもこのクオリティを出せるのはすごいの一言なんですが、「新世界編」以前のワンピースは、本当に、こんなものじゃなかった。。
もしかしたら、現在の担当編集者が仕事をしていないのかもしれません。編集者は作家と読者のズレを埋めるのが仕事のはず。そして無駄な部分を見極めてバッサリと削ることも仕事のはずです。
にも関わらず、余計な情報や違和感のあるセリフがギッシリ残ったままで世に出てしまっている。今の読者がそうした「説明し過ぎな」漫画の見せ方を求めてると編集者は判断しているのでしょうか。それとも担当編集は初期からのワンピースのファンではないのでしょうか。
ファンが尾田先生を盲信して、昨今のワンピースを絶賛すればするほど、私が本来魅力を感じていたワンピースから遠のいてしまうのではないかと思い、あえて本音で苦言を呈してみました。
最近感じるのは、『HUNTER×HUNTER』があれだけ密度濃く、完璧なストーリーを描けるのは、やはり冨樫先生が頻繁に長期休載していることで、じっくりと設定やシナリオを詰める時間があるからではないかということです。
グリードアイランド編もキメラアント編も、ストーリーの魅せ方や伏線の張り方、見せ場の作り方から、一切無駄のない研ぎ澄まされたナレーション、キャラクターたちの心情を丁寧に反映させたセリフ回しまで、非常に完成度の高い作品に仕上がっています。
暗黒大陸編もすごい。よくここまで読者をワクワクさせる、スケールの大きな新しい設定を考えられるなと感嘆してしまいますが、おそらく冨樫先生が尾田先生のような仕事量をこなしながら、週刊連載でほとんど休載せずに続けていたら、あれだけ完成度の高い設定やエピソードは描けないと思うのです。
グリードアイランド編のカードの設定なんて、週刊連載で絵を描きながら詰められる緻密さじゃないと思いますよ。
ワンピースが休載になったときは本当にショックなので、できれば休載などして欲しくないのですが、今のようなクオリティでワンピースの残りのエピソードが削られて行ってしまうくらいなら、ゆっくりでもいいので、ちゃんとキャラクターたちの心情を丁寧に描きながら、セリフ一つ一つにこだわった、昔のような質の高いワンピースを描いて欲しいです。
連載初期からのファンで、キャラクター1人1人に強い感情移入をしながら読み進めているファンの方なら、共感してくれるのではないでしょうか。
※「ドレスローザ編」がつまらない理由、更新しました!
匿名で失礼します!
1050話のブログと、このブログを読んで共感できるところ、共感できないところがあったのでコメントさせていただきました!
1050話のカイドウの前振りやルフィのセリフに関しては、今までなんとなくネガティブな気持ちを持っていたので、ナベオツさんのおかげでスッキリしました!!ニカの一貫性のなさも涙が出るほど共感できます涙
ただドレスローザ編に関しては2年後屈指の出来だと思っているので、いくつかの点で真っ向から否定させていただきます。拙い文章ですが、何卒ご容赦ください。あと長いです。
まずは、ベラミーを友達と呼んだ件について。ベラミーはドレスローザ編では、2年前の浅い傲慢な男から、内面・実力共にルフィに一目置かれるほど成長したキャラクターとして描かれています。コロシアムの試合前のルフィとのやり取りで内面の変化を、戦闘では覇気を扱うほどの成長を見せました。覇気を習得するのに2年かけたルフィなら、ベラミーがどれだけ努力したか容易に想像がつくでしょう。そんな男が試合中虚しくやられているのを見て、ルフィはただ黙って見ている男でしょうか?「おいベラミー、頑張れ」と声援が出てくるのは自然だと思います。確かに昔、酷いことをした男ではありますが、初対面の印象を引きずるようなルフィではないと思います。
次にドフラミンゴ戦決着の「息が詰まりそうだ!」について。これは音の響き的にお気に入りのセリフなんですが、改めて何が良いのか考えてみました。
このセリフは今まで以上にルフィの主観的なセリフであり、ドフラミンゴを倒すのはあくまで「ルフィのエゴ」なんだと強調するものだと思います。「ルフィのエゴ」はこれまで何度も描かれてきたものであり、エニエスロビー・インペルダウン・頂上戦争はその最たる例です。むしろクロコダイル戦の「国」の方が正義感というか、義務感というか、ルフィに似つかわしくないものを連想させるのではないでしょうか?アラバスタ編時点ではルフィに「話させている」点が目立つと言われており、オダッチ本人も認めているところです。
「死」の扱いが軽い点ですが、これはドレスローザ編に限った話ではないです。アラバスタ編のペルー・エニエスロビー編のフランキー一味や大工たち、インペルダウンのボンちゃんなど、いかにも死亡したと思わせて、実は生きていたという展開は何度もあります。ただ私は他にも同じ展開があるからいいじゃないかと言いたい訳ではなくて、この「死」の扱いの軽さがワンピースのいいところだと思っています。緊迫した場面では、誰かしらの犠牲により闘いの無情さを感じられ、全て終わった時に実は「詐欺」だったおかげで、めでたしめでたしでお話を終えることができるのです。またエースの死を際立たせる意味でも、無闇にキャラを死なせるべきではないと思います。
藤虎の件については正直個人の感想というか、藤虎に対するポジティブな印象が足りてないからかなーと思います。なので個人的に藤虎の好きなところの話をします!
藤虎はよくある盲目の剣士キャラですが、ここまで「盲目でも強い」ことに説得力を持たせられる作品はワンピース以外ではないのではないでしょうか。見聞色の覇気の存在により、違和感なく世界観に溶け込めるどころか、「見聞色の覇気は極めれば、こんなこともできる」という相乗効果まで与えてくれる素晴らしいキャラなのです。旧三大将と肩を並べていることも、見聞色の覇気の有用さを後押ししているでしょう。総じて藤虎はワンピースの良さである「積み重ね」を体現しているキャラであり、本人の性格も相まってとても奥深いキャラではないでしょうか?
プライベートではこんなにワンピースを語れることもないので、つい長文になってしまいました。一年以上前のブログに今更になってこんな拙いコメントをつけて恥ずかしいかぎりですが、気が向いたらどうかご返信ください
こちらコメント見落としておりすみません。
遅くなってしまいましたがお返事します。
まず前提として、あなたがそのように解釈されることに何ら異論を挟むことはありません。
ただ、あなたの解釈を聞いても、私の結論は変わりませんでした。
以下、その理由を説明します。
>ベラミーはドレスローザ編では、2年前の浅い傲慢な男から、内面・実力共にルフィに一目置かれるほど成長したキャラクターとして描かれています。コロシアムの試合前のルフィとのやり取りで内面の変化を、戦闘では覇気を扱うほどの成長を見せました。
まず私は、ルフィがベラミーに対して「内面・実力共に」一目置いている(ほど成長したキャラとして描かれている)とは思いません。
ただ2年前とは「変わった」(変化を感じられた)ことで怒りやわだかまりはなくなり、同情しうる相手になった、というのがせいぜいかと思います。
そもそもルフィが「応援」するに至るまでに、ベラミーの「内面」などほとんど示されておらず、描かれたのは「空の奴らに何もしてねェだろうな!!」というルフィの質問に対して「さァな」とイキり返しただけで、空島の人達に暴力を振るってきた可能性は十分残っている状況です。この時点ではルフィも「ギッ」と睨み返しており、ベラミー自身、ルフィと敵対するポジションの自覚を持っていた(仲良くするつもりはない)はずです。
その後「ともあれおれはもうお前を恨んじゃいない…やがて来るデカイ波を超える為におれはドフラミンゴの船に乗る!! もうお前を笑わない」と続くわけですが、この一言だけでルフィがベラミーの「内面」に一目置くようになった、と言われて共感できる読者がいるとは私には思えません。
「わだかまりがなくなり、ベラミーを敵視しなくなるきっかけとなった」ということであれば理解できますが、一目置いて「友達」認定に至るほどの会話とは到底思えません。
敗北後のベラミーとも言葉を交わしており、「おれは何も…変わらねェな みっともねェ…」「変わったよベラミー」というやりとりもありますが、このやりとり自体、「なんで急にこいつにこんな優しくて思いやりのある言葉を投げかけるのかが意味不明である」という話なので、このシーンが描かれる前に、ルフィがベラミーに気を許す経緯が説得力を持って描かれていなければなりません。
それが、空島の件でのイキり返しと、コロシアムで「残虐」「凶悪」と言われながらザコキャラを一掃した末、バルトロメオにボコボコにされて「キングパンチ」で吹き飛ばされただけなので、なんでこの経緯でルフィの応援対象になるのか、ということです。(世間の評価も「残虐」「凶悪」なんですから、空島の連中にも酷いことをした可能性の方が高いでしょう)
この点について、あなたの解釈では「覇気を使った戦闘を見て、その努力を想像して評価したから」ということでよろしいでしょうか?
しかしながら、
>覇気を習得するのに2年かけたルフィなら、ベラミーがどれだけ努力したか容易に想像がつくでしょう。
という解釈は「妄想」に過ぎません。ベラミーが覇気を使ったことに対してルフィが驚いたり、評価したり、その努力を想像したりする描写があったのであれば「ルフィがベラミーの2年間努力を想像し、評価した(だから一目置くことになった)」と言えるかもしれませんが、そのような描写はありません。
ただ(コロシアムの中で唯一知らない間柄ではない)ベラミーが負けそうになっているから応援した、以上の情報は描かれていないわけです。
具体的な描写がないのに、ただ「あり得る」要素を寄せ集めてキャラの心情を想像・推測するのは「妄想」であって「読解」ではありません。
「ベラミーが覇気を使ったところを見て、ルフィはその努力を想像した」と解釈できる描写など作中に一切ありません。全く別のことを考えていた可能性などいくらでもあります。
>そんな男が試合中虚しくやられているのを見て、ルフィはただ黙って見ている男でしょうか?「おいベラミー、頑張れ」と声援が出てくるのは自然だと思います。
そうでしょうか。別に無言でその戦いぶりや行く末を見届け、思慮深さを感じさせるスタンスでも成立しますし、私はその方が自然だと思います。
まだベラミーが空島の連中に手を出した可能性は残っている訳で、ルフィが今のベラミーを「善」と捉えて全てを許して然るべき根拠などないのですから。
>確かに昔、酷いことをした男ではありますが、初対面の印象を引きずるようなルフィではないと思います。
これは同意ですが、だからといって執拗に媚を売りながら友達アピールするようなキャラでもないと私は思います。
また「初対面の印象を引きずる」という話ではなく、実際にベラミーが善か悪かを判断する上で、空島の連中に手を出した可能性が残っているにもかかわらず、そこを加味せずに急に「善」(友達)として扱い出すのが不自然である、という話です。
そもそもクリケット達に対する悪行はなくならないわけで、無実の友達を大いに傷つけた過去があるわけですから、「初対面の印象」というレベルの話ではありません。
あんな非道なことをして友達を傷つけ、空島の連中にも同様の暴力を振るったかもしれない人間に対し、覇気を身につけていたからといってその「努力」を想像してあっさり評価を覆して応援に回るなど、私からすれば「ありえない」「理解できない」行動です。
>次にドフラミンゴ戦決着の「息が詰まりそうだ!」について。これは音の響き的にお気に入りのセリフなんですが、改めて何が良いのか考えてみました。
このセリフが「音の響き的に」お気に入りの方がいらっしゃるとは思っておりませんでした…感じ方は人それぞれですね。
>ドフラミンゴを倒すのはあくまで「ルフィのエゴ」なんだと強調するものだと思います。
これも妄想ですね。そう捉えることは自由ですが、その解釈が妥当だと言える根拠がありませんので、他人を説得する材料にはなりません。
エゴかエゴじゃないかを分ける基準もよくわかりません。
エニエスロビーは「ロビンを助けたい」というエゴ、インペルダウン・頂上戦争は「エースを助けたい」というエゴということでよろしいでしょうか?
その場合、アラバスタは「ビビを助けたい」というエゴになるのでは?
なぜアラバスタはエゴではない、という解釈になるのでしょうか?
私からすれば、ドレスローザの方がよっぽどルフィのエゴがなく、特に戦う理由もないのに(戦う理由が曖昧なまま)作者に操られて戦わされている(故に決め台詞に力がない)と思っています。
実際、上記の流れでドレスローザの戦う目的を端的に示そうと思いましたが浮かびませんでした。
「レベッカのため」と言えるほど話の中心ではない(そもそもドフラミンゴを始末することはローの計画の内にあった上、他の一味との関係性も薄い)し、「ベラミーのため」となったらただのチープな茶番エピソードになり下がりますし、「ローのため」というのも(ローの過去をルフィは知らないのだから)しっくりきません。
ドレスローザ編における「ルフィのエゴ」とは具体的に何を指すのでしょうか?
>むしろクロコダイル戦の「国」の方が正義感というか、義務感というか、ルフィに似つかわしくないものを連想させるのではないでしょうか?
いや、それはさすがに解釈が間違っていると思いますよ。クロコダイル戦においてルフィは全く「国」を背負っていませんし、正義感でも義務感でもなく、終始「仲間」であるビビを助けるための戦いをしているじゃないですか。シンプルに「ビビを助けたい」というルフィ(達)のエゴと言えるでしょう。
「死なせたくねェから“仲間”だろうが!!!」「だからあいつが国を諦めねェ限り…おれ達も戦う事をやめねェんだ!!!」というセリフがその根拠です。これはビビが国を諦めたらルフィ達も戦うことをやめるとも解釈できるため、ルフィ達が正義感や義務感から「国」を守る為に戦っている訳ではないことが明確に表れているセリフです。
サンジも「国なんてもんに関わる気はねェ」と言っていますし、この他にもルフィ達が「国」のために戦っているわけではないことがわかるセリフや描写は数えきれないほどあります。
“麦わらの一味”はみんな、「仲間」であるビビを助けたいが為に命懸けで力を貸していて、それがビビが一番大切にしている「国」を守ることにつながっている、というだけであり、ルフィ達が正義感を掲げて、あるいは義務感から(ルフィに似つかわしくない行動として)アラバスタを守るために戦ったという解釈は明確に間違っていると思います。もう一度読み直してみてはいかがでしょうか。
正義感から国を守る姿勢を見せ始めたのは、むしろドレスローザ編からです。(「なんかおれの育った国に似てるなあ…」「この国よく見てみろ!! 今おれが止まってどうすんだ!!!」という発言)
そして、それがより色濃く出たのがワノ国編です。「おれ達がこの国出る頃には! お前が毎日腹いっぱいメシ食える国にしてやる!!!」とか「他所者がこの国守っちゃいけねェのか!!?」と明確に国を背負う発言をしていますし、錦えもんから「背負ってくれんか…!! ワノ国を…!!」と言われて「当たり前だろ!! 友達の国だ!!!」と返しています。
(これだけ明確に国を背負い、国を救う発言を「ワノ国の人間に向けて」しておきながら、国を救った後は「ヒーローになりたくない」と口止めするというムーブが、私は気色悪くて仕方なかったのですが…)
>アラバスタ編時点ではルフィに「話させている」点が目立つと言われており、オダッチ本人も認めているところです。
この情報は存じ上げませんでした。よろしければ詳細ないしソースを教えていただけますでしょうか?
私からすればアラバスタ編が「話させている」のだとしたら、新世界編は全て「作者が直接説明している」レベルになってしまいますね。
>「死」の扱いが軽い点ですが、これはドレスローザ編に限った話ではないです。
この点は私の意図が正しく伝わっていないようです。
私は「無闇にキャラを死なせるべき」とは思っていませんし、最終的に死んでなかった・死なずに済んだというオチでも問題ないと思っています。
しかしながら、そうしたパターンは何度も繰り返すとその効力が薄れていくため、その扱い方を工夫しないと、そもそも「緊迫した場面」を作ることができなくなってしまいます。
要するにワンパターンばかりだと飽きられるという話で、だから安易に「死」を脅しに使うべきではないのですが、パンクハザード編からドレスローザ編にかけてそれを乱発しまくった結果、もはやワンピースにおける「死」の脅し効果は“ゼロ”にまで成り下がりました。
そのせいで、どれだけ強い敵と対峙しても危機感や緊迫感が描けなくなり、この先どうなるのかというドキドキハラハラ感を持って読み進めることができない作品と化してしまったわけです。(これによりワンピースの面白さや持ち味の大半が失われたと私は思っています)
今やどれだけ「死」を脅しに使われても、「緊迫した場面」にはならなくなってしまいました。だから(本来であれば大盛り上がりになったはずの)ワノ国での四皇戦もエッグヘッドでの大将戦も全く緊張感がないのです。
「きちんと緊迫感や危機感、死の恐怖を描いた上で、最終的に生きていた」という描き方と、「どうせ死なないと分かりきっている中、大した緊迫感や危機感を演出することなく、ただ安易に「死」という言葉だけで作られた危機感に付き合わされた結果、やっぱり死ななかったオチ」とでは、物語のクオリティや読んだ時の印象はまるで異なります。
前半の海のワンピースは前者だったため、最終的にほとんどのキャラが死ななかったとしても、きちんと緊迫感も緊張感も味わうことができていました。
しかし今のワンピースは後者ばかりで、安易に「死」を脅しに使い過ぎ(死という言葉による説明だけで「緊迫した場面」を描いたつもりになり過ぎ)ているため、逆効果にしかなっていないという指摘です。
現に、ドレスローザ編では何度も何度も(安易に)ローの死が脅しに使われ、その度に大した理由もリアリティもなく生かされた(死ななかった)ことで、死の脅しは「茶番」にしかなっていませんでした。(ホールケーキアイランド編はさらに酷く、「四皇」のビッグ・マムが今更「拳銃」でサンジの頭を撃ち抜くことを「死」の「脅し」にしており、もはや笑うしかない茶番となっています)
>この「死」の扱いの軽さがワンピースのいいところだと思っています。
上記説明させていただきましたが、それでも「死の扱いが軽いのがワンピースのいいところ」という考えなのだとしたら、それはそれで問題ありません。
ただ、私の感覚とは相容れないですね。
私は、敵の強さや恐ろしさ、味方のピンチ感や危機感、バトルや危機脱出の緊張感や緊迫感をしっかりと描いた上で、(最後のエピローグや本筋とは関わりの薄い場面で)死んだと思ったキャラが実は生きていた、という補足(救済措置)を加えることで、めでたしめでたしでエピソードを終えるというのがワンピースの良さ(バランスと取り方のうまさ)だと思っていたので、「死の扱いが軽く、誰も死なずにめでたしめでたしできるのがワンピースのいいところだから、安易に死を脅しに使う描写を連発しても問題ない」とは思えません。
その行く末は、「緊迫した場面」が一切描けなくなることであり、それはワンピースの面白さを大幅に毀損することになるからです。
最近は「バトルがつまらないから世界情勢を描いてくれ」という声が増えていますが、これは安易に死を脅しに使う描写を連発したことで、バトルシーンに緊張感がなくなり、ただの茶番と化したからです。
>緊迫した場面では、誰かしらの犠牲により闘いの無情さを感じられ、全て終わった時に実は「詐欺」だったおかげで、めでたしめでたしでお話を終えることができるのです。
これが成立するのは、きちんと「緊迫した場面」を描けているからこそです。私が指摘しているのは、「緊迫した場面」が描けていない(全て茶番になってしまうほどに、安易に死を脅しに使い過ぎている)という指摘です。
>藤虎の件については正直個人の感想というか、藤虎に対するポジティブな印象が足りてないからかなーと思います。なので個人的に藤虎の好きなところの話をします!
私は藤虎のことは好きですよ。だからこそ、好きなキャラ(魅力を感じていたキャラ)に、露骨かつ執拗にルフィを持ち上げる不自然な「独り言(という名の説明)」を吐かせているのが気持ち悪くて受け入れられないのです。あれだけ魅力的なキャラを、ルフィ上げの道具として消費させられてしまったことへの怒りですね。
返信ありがとうございます!
私も前提として知っておいて欲しいのは、「なぜ2年前は良くて、ドレスローザ編がダメなのか」ということです。ですから、私が2年前の話を持ち出すときは、「2年前も似たような展開があるのに、2年前は『具体的に』どう良くて、ドレスローザ編はそれと比べて何がダメなのか」分からない、ということです。
個人の感覚という結論なのかもしれませんが、極力その結論に行かないように、できるだけ根拠を持って答えて欲しいです。
あとワの国編の戦闘以降の話を持ち出さないでください。擁護できません。
いくつか言葉足らずなところがあったと思うので、補足させてください。以下長文注意です。
まずベラミーについて
ベラミーとの最初の問答では
・ベラミーは仲間を失った
・ベラミーの世界はひっくり返った
・ベラミーはルフィを恨んでいない
とベラミーは言っています。ただし、言うだけなら簡単であり、ご指摘の通り、ルフィもこの時点では気を許していません。
ルフィがベラミーに一目置き始めた(あるいは同情した)のはコロシアムの戦闘中です。戦闘では
・タンク軍団長の、「でかい夢より足元の金を拾う」という発言に対して、「耳が痛い」と返している。
・他のキャラクターが魚人のハックを除いてチーミングや舐めプをしている中、ベラミーは正々堂々闘っている。
・2年前の傲慢な発言が消えている。
点から内面の成長が読み取れるのではないでしょうか。少なくとも、ルフィが応援するまでの道のりは尾田先生はしっかり描いていると思います。そしてそこから「ルフィに応援させるか否か」という話ですが、ルフィは普段は思慮深いキャラクターではありません。あくまで必要に応じて考えているのであり、だからこそメリー号の件での決断やギア2の「力いっぱい考えた」というセリフが光るのです。この場合、ルフィは特にベラミーに対して思慮する必要はありません。ただ思ったことを口に出せばいいだけです。
その後の「変わったよベラミー」の発言に関して違和感を感じるのは、ナベオツさんが「同情」路線を決めつけて読み進めてしまったことに問題があると思います。私も確か初見では「同情かな」と思っていました。ただ改めて思い返してみると、このセリフを見た時に、考え直したというか、印象が微妙に変わったような気がします。ですので、ここで違和感を感じた時に、「ルフィは同情しただけではなく、ベラミーに対して一目置いた」と路線を修正するべきでした。
「一目置いた」路線であれば、あの一連の流れは、
結果が伴わずベラミーが自虐→
ルフィがフォロー(自分が認めるまでには変わった)→
ベラミーますます立つ瀬がない
と自然な流れとして読むことができたでしょう。
友達発言をするのはドフラミンゴ戦です。ドフラミンゴ戦の前にはルフィをコロシアムの出口まで案内しています。この時にベラミーは裏切ったドフラミンゴに対して筋を通しており、最終的にルフィに伝わったかは分かりませんが、読者には漢気が十分伝わったと思います。
ベラミーの過去の罪についてですが、ボンちゃんと友達になったり、Mr.3を認めた件があり、彼らの過去とベラミーの過去は大差がないことから、劇中の描写には矛盾していないと思います。
空島の人々を傷つけた可能性に関しては、過去の罪が関係ないなら可能性にすぎないこちらは無視されるべきでしょう。そもそも2年後のベラミーなら傷つけることはなさそうじゃないですか。鐘そのものではなく、柱を持ち帰っているのが証拠になってますしね。
次に「息が詰まりそうだ」およびルフィのエゴについて
ここではセリフのおかしさについての議論であり、私が言いたかったのは、ルフィの行動はアラバスタ編含め全てエゴであり、『息が詰まりそうだ!』という「ルフィが感情を吐露するようなセリフ」がそれを象徴している、ということです。そしてボス戦の最後のトドメのセリフなので、一際印象に残りやすい大事なセリフであり、先ほどのベラミーの会話や中途での決めゼリフなどよりも気を使って選ばれたはずのセリフです。
そんな中で、クロコダイル戦の『国』は「決めゼリフとしては微妙じゃないか」と言いたかったのです。後ろの「ここがあいつの国ならもっと笑ってられるはずだ!」と合わせて初めて理解できるセリフであり、「国」という発言だけだと意味不明すぎます。しかもこの「国」のコマ、文字もデカすぎてとても印象に残り、分からない時間が1ページ分続き、エゴの反対の意味の「国」が単品一文字。しかも国を強調する理由が次のセリフのためだけ。
掛け合い方もルフィから始めているので当時は「言わせたいだけ感」が凄かったです。(正確にはクロコダイルが最初に声をかけていますが、国につながるような発言を誘導したのはルフィ側だと思います)
読み返すたびに、後ろのセリフの枕詞と思って割り切ってましたね。
読み返したついでにおもったのが、「俺はお前を超えていく」っていいセリフですけど、冷静に考えてみると、ルフィが「自分のために戦ってる」って言ってるようなものじゃないですか?(エゴと私利私欲は違います。)始めからその気だったカタクリ戦と比べると、戦ってる途中から脈略なく変わってしまうのは良くないとおもいますね。
「槍が振っても」は普通に慣用句の「雨が降っても槍が降っても」をサンジに合わせてアレンジして言わせただけでしょう。
そういう小難しい言い方をルフィはしないって指摘なら分かりますが、槍が降る伏線が…て言い方になると皮肉なのか慣用句を知らないだけなのか分かりづらく他の指摘の説得力も薄れてしまうような気がします。
これはご指摘のとおりですね。「雨が降ろうと槍が降ろう」という慣用句をもじったものであることに全く気づいておりませんでした。
そのため、単純にルフィが本能のままサンジを止めるために吐いたセリフとして、「腹が減っても!!! 槍が降っても!!!」という言葉が口から出てきたものと捉えていましたが、これが慣用句をもじった台詞を吐いたと考えると、なおさらダサくて気色悪いシーンにしか見えなくなってしまいました。。
槍が降っても
↑槍は多分ルフィとサンジが初めて出会った時の戦いと掛けてるんじゃないかと
ブログ書くのは自由ですが…ちょっと流石に作品に対する読解力が低いなと思ってしまう
・息が詰まりそうだっていうのは、序盤の「俺が育った国に似てるな」みたいなセリフから分かる通りルフィの根源です
ルフィの海賊になる理由の1番は夢と約束ですが息が詰まる場所から抜け出すってのも大きな理由で、それがルフィの「夢の果て」にそのまま直結すると思われます
国中が色々な種類圧力で押さえ付けられている事が丁寧に描かれており、そこからの解放がドレスローザのテーマであり作品のテーマでもある、そこから来るセリフです
・藤虎の件とかは単なる粗探しとしか思えないし、親子盃とか賞金の下りはそういうギャグでしかない
特に賞金の下りの説明臭いセリフはわざとでしかないでしょう、お笑いでもそういうツッコミが流行ってますし
・サンジの嘘が一線を超えたのも完全にわざとです、ルフィに手(足)を出した事にも直結していますが、これまでの救出編と違ってサンジはルフィの事をよく理解しています
なのでルフィが1番自分を奪還しようとする事をやめさせる方法は何か?→夢を蔑み、いかにも「敵」としての立ち振る舞いをするという結果につながってます
概ね同意ですが一度つまらないと思ってしまったら粗がどんどん見えてしまうものだと思います。それだけの厳しい目で見たら、前半の海ですら粗が多く見つかってしまうと思います。
じゃあお前がワンピース以上の漫画描いてみろやカス
主がいなくなったサイトでふんぞり返ってイキる
カスはどっちなんでしょうか
まともな反論一つ見つけられず、出てきたのは苦し紛れのほならね論。みっともないことこの上ない
この文読んで共感するところも反論するところも一つもなかったんだとしたら、お前はワンピースの読者ですらないよ
https://onepiece.nabeotsu.com/blog/worthless/
まずはこの記事を見ましょう
そんなん言うなら貴方がブログ書いてから言ってください。
かなり毒舌感のある論調ですが概ね同感です。
俺の従兄がハマってて俺はアニメから入りました。
俺ならば描きたい事は読み切りとか同人誌でやります。
読者が可哀想ですよ。
ただ、この記事で批判されている事は尾田先生も薄々気付いているのでは無いでしょうか。
前の編集者さんが優秀過ぎたのか。
忙し過ぎるのか。
月刊連載であればここまでの事にはなって無かったかも知れません。
作家が過大評価され過ぎてて編集者の仕事というのがそもそも過小評価され過ぎているのかも知れません。
ある人が言ってましたが例えば宮崎駿はどれだけセリフを短くアイディアを削るのかを考えてるそうです。
長いセリフは物語のテンポにとって猛毒なんですよね。
例えばワンシーンだけ長文の童話とかありませんよね?
抽象度が大事なんだそうです。
短い言葉にどれだけ多くの意味を含ませる事が出来るかが勝負だとか。
もしかしたら尾田先生はそれが苦痛だったのかも知れません。
死亡説とかゴーストライター説もありますが自分は重病説を懸念しています。
物凄い重病で物凄い強い薬を打ちながら物凄い短期間で原稿を仕上げているせいでクオリティが潰れている可能性です。
それなら編集者は口出し出来ませんよね。
ローのセリフはよくある反面教師的なセリフなんじゃないですか。弱いヤツ=昔の自分と言うか、そこから這い上がってこいって事だと思いました。実際見逃してるし、他の作品でもよくある手法かなって。
藤虎はあのセリフを言わせる為に盲目にし、登場したキャラだったと思いました。あの後見せ場無いですし。
ルフィVSサンジは、ルフィVSビビと似てないですか?あの時もルフィがビビの気持ちを汲んで代弁していたような…勿論セリフが多すぎるのは同意ですし、嘘発言はどうかと思いました。
『お前のメシしか食わねぇ』はもう完全同意です。てか読む人全員嘘つけってツッコんだんじゃないかと思います。
キャラに説明しすぎ本当にそれですね。
思うにSBS等に質問が山ほどくるからそれに対してのアンサーなんでしょうが、小学生にもわかる様に事細かに描き過ぎな感じがします。考える余地がない、勝手にアレコレ解釈されるのが許せないんでしょうかね完璧主義だし。
言いたい事は分かる。けどこの人の説明もオダエーとおなじくらいクドいかも
そのご指摘はおっしゃる通りだと思います。この記事には(第三者の目でチェックをしてくれる)編集者がおらず、私一人で執筆・編集をしているためです。
そうすると必然、無駄な情報やクドい説明、伝わりづらい表現といった「無駄」が入りやすくなります。自分の目だけではどうしてもバイアスがかかってしまい、完全な客観視点を持つことはできないため、無駄を無くそうと思っても無くしきれないのです。
尾田先生がどれだけ優れた漫画家で天才的な能力を持っていたとしても、人間である限りこの呪縛から逃れることはできません。どれだけ高名な作家でも、商業出版物の制作に必ず編集者がつくのはそのためです。
この点からも、いかに編集者(第三者のチェック)の存在が重要であるかがよくわかると思います。
その編集者が仕事をせず、盲信的なミーハー読者として描かれたもの全てにノータイムでOKを出しているから、ワンピースはここまで劣化してしまったのだろう、というのがこの記事で私が一番伝えたいことです。
ドレスローザ編が苦痛だったのは同意ですが、要するに「自分がこうあるべきと思ったキャラクター像からズレてる」ってことですよね? それはちょっと違うんじゃないかと思います。
特に「ワンピースでは死が軽い」というのは、目の前で兄を喪ったルフィに対してそう思うのはいくらなんでも。ルフィにとって死は重い物だと思うし、二年前編でもそう描かれているはずです。でもいきなり友達宣言が変ってのは同意です。
コメントいただきありがとうございます。
まず、「自分がこうあるべきと思ったキャラクター像からズレてる」という感想を抱くことが「ちょっと違う」というのはどういうことでしょうか?? 何が違うのでしょう?
私は「自分がこうあるべき」と思ったキャラクター像を抱いている(押し付けている)わけではなく、「尾田先生が描いてきたものを読解(解釈)し、一読者として抱いてきた」キャラクター像からズレていると感じた点を(具体例を挙げて)指摘しているだけです。私の抱いたキャラクター像が「正しい」などとは一言も言っていません。
それが「ちょっと違う」というのはどういことなのでしょうか。。自分が抱いた感想を文章にして発信することの何が「違う」のでしょうか?
また、私は「ワンピースでは死が軽い」とか「ルフィにとって死は軽いもの」などとは一言も言っていません。「ワンピースでは『死』という言葉が軽く扱われすぎている」と言っているのです。もう少し正しく文章を読解できるようになった方がよろしいかと思います。
ワンピースでは、キャラクターが死ぬことはほとんどない(描かれない)のに、読者や作中のキャラクターへの脅し文句として「死」という言葉が多用されるので、その効果が薄れて緊張感が得られなくなっている、という指摘をしています。
ドフラミゴに「もう一発であの世行きだろう…いい最期じゃねェか…!!」と言わせておいて、ルフィが顔面に拳の跡が残るくらいの力でぶっ飛ばしても、ベラミーは死にませんでした。
「最期」というのは、「命が尽きる時」を意味します。つまりドフラミンゴは「もう一発喰らわせればベラミーは死ぬ」と言っているのであり、だからルフィはベラミーに手を出せない(と言わんばかりの「説明」をしている)わけです。しかし結局は、顔面に拳の跡が残るくらいの力でぶっ飛ばしても、ベラミーは死にませんでした。
これではドフラミンゴ(にこのセリフを言わせた尾田先生)が読者に嘘をついたことになります。こうした「嘘」を多用すると、読者はキャラクターの言葉(尾田先生の描く言葉)を信じられなくなり、キャラクターの言葉が力を失っていき、バトルシーンでの緊張感や緊迫感が失われてしまいます。
実際、このシーンは「どうせ殴ったって死にゃしないよ」とほぼ全ての読者が思ったことでしょう。(前半の海からワンピースを読んできた読者の中で)ルフィが殴ることでベラミーが本当に死んでしまうと思い、本気で心配し、緊張感を持って読んだ人などいないはずです。
「死」という言葉(による脅しの表現)を安易に使いすぎてきた結果、(一般的な)読者はその言葉を信じられなくなっているからです。
にも関わらず、依然として安易に「死」という言葉だけで緊張感を出そうとしてくれるので、その描き方に辟易していることを感想として述べています。
ドレスローザ編のドフラミンゴは特にひどく、“死”を持ってローを許すとか、「今からお前は“間違いなく”死ぬ」とか、「あいつがお前の死体を見ちまったら」とか、「死んでるよ…!! 見りゃわかるだろ…!?」といったセリフで散々ローを殺す(あるいはローが死んだ)ような発言をしておきながら、結局ローは死にませんでした。つまり全て(読者を脅すためのだけの)「嘘」のセリフだったわけです。
“悪のカリスマ”であるドフラミンゴが、ここまで「死」を正しく判定できず、最終的に殺せずに終わるなんて、さすがに無理があると思いませんか?
尾田先生がドフラミンゴに「嘘」ばかり言わせたことで、(前半の海で描いてきた)ドフラミンゴの凶悪性やカリスマ性が失われてしまったことを私は嘆いているのです。
こうして「死」という言葉を安易に使って、読者に「嘘」をつきまくってきた結果、ワンピースの醍醐味であった戦闘シーンの緊張感・緊迫感が失われて茶番となり、キャラクターの魅力が毀損されてしまっていることが残念でならず、その思いを言葉にしたのがこの記事です。
これだけ「嘘」をつかれておいて、毎回毎回「本当に死んじゃうかもしれない…!」と尾田先生の言葉を信じ、ドキドキワクワクしながら読んでいる読者がいるとしたら、それはもはや描かれていることを正しく読めなくなってしまった盲目的な読者だけでしょう。
もちろん「死」という言葉を使ったから絶対に殺さなければならないということではありません。しかしワンピースの場合は、「死」を脅し文句に使うことが多い割りにまず誰も死なないし、誰も死なないと読者もわかっているのに安易に「死」を脅し文句に使うことが多すぎるので、その点の悪影響を指摘しているわけです。
ご理解いただけましたでしょうか?
新世界以降ってアニメの担当が変わったのかな。漫画、というよりアニメの方が酷すぎるイメージ。
自分はワンピース連載開始から数ヶ月後に生まれ、小学生の頃に父に見せて貰ってからドハマリし、新世界前は毎週楽しみで楽しみで仕方ありませんでしたし、漫画も何度も読み返しています
去年からリミックス20周年記念を全巻集めて読んでいますが、なんでこれだけおもしろかった作品がここまでつまらなくなったのかと思わざるを得ません
まずはなべおつさんの言う通りとにかく説明セリフが多く、驚かせ&説明係のモブが鬱陶しくて仕方がありません
例えばエニエスロビーでのルッチvsルフィの何ページにも渡りセリフ皆無で殴り合うシーンでは、絵とそれまでの話だけでこの戦闘や相互の凄さがこれでもかと伝わってきますし、本来それが出来るのが尾田先生だと思います
次に自分が特に残念だと思うがキャラの心象描写の杜撰さです
新世界以降、キャラ(特に女性キャラ)が園児かと言いたくなるほど簡単に情けなく辛いよーと泣いてるシーンがよく見受けられます
アーロンパークでのナミ、CP9編でのロビン、そして何よりバロックワークス編通してのビビ
皆辛い状況に置かれるも涙を見せずに必死に耐え続け、戦い、それでもどうにもならず堪えきれずに涙を
そしてその一連の描写の後、ルフィが元凶のボスキャラをぶっ飛ばす
あの爽快さは、敵キャラに苦しめられていたキャラの丁寧な心象描写があってこそだと思います
新世界序盤のタシギなんかもアラバスタでの強い姿は何処へやら
そんな簡単に折れて泣くようなキャラじゃ無いだろと思いました
他にもドレスローザのレベッカなんかも、ビビの如く耐えに耐えさせたうえで敵わず悔しさに涙
それを受けたルフィがミンゴをぶっ飛ばしていれば、もっといい話が出来ていたのでは無いかと思います
ほんとに新世界以降の失速は残念でなりません
長文失礼致しました
私も小学生の頃から単行本を毎回買って何度も何度もセリフを覚えるほど読んでいました。個人的にはウォーターセブン辺りからセリフが増えてきて、新世界編からは目も当てられない状況になってきたと感じます…設定やストーリー自体は凄く面白いのに、セリフが多すぎる、不自然すぎて胃もたれするんですよね。
漫画なのでもっと絵で語っていいと思いますし、伏線回収やら心情やら読み取れない人には読み取れなくていいって割り切るべきですよね。それこそ漫画の余白の醍醐味だし、そこで読者は想像が膨らむし…
忙しすぎて、何も考えずにストーリーをセリフに起こす方が楽なのでそうなっているんだと思います。
絵も描き込みすぎずあえて引き算する事で読者を引き込んでほしいし…今はとにかくノイズが多いですね。
>設定やストーリー自体は凄く面白いのに、セリフが多すぎる、不自然すぎて胃もたれするんですよね。
おっしゃる通りです。設定やストーリーは面白いと言えるのに、その描き方や味付けが酷すぎてつまらなくなっているのがもったいなくて仕方ないです。前半の海のような描き方をしていれば、新世界編ももっと人気を維持できていたはずなんですけどね。
明らかに新世界編以降、尾田先生の漫画の描き方が変わってしまい、少ない情報で多くを伝えて感動させる技量がなくなってしまいました。
私も小学生の時から読んでいて大ファンでした。ただ、新世界編が始まってからというものの、ルフィが偽物のゾロとサンジを本物と思ってしまうところから始まりがっかり描写のオンパレード。尾田さんは死んでいて替え玉が書いてるのでは?と思うくらい新世界を境目にコロッとキャラクターの心情描写が浅くなってます。それは今の和の国フィナーレまでずっとそのままで、残念でなりません。
編集者の変化もあるでしょうね。YouTubeで担当編集者の様子を見たんですが、尾田さんが本当にギリギリに原稿を出してくるのでブラッシュアップする暇もない。編集者も手放しで、これは面白いと大して面白くもないものにOK出してました。
まあなんだかんだで最後まで読みたい漫画だし、今の休載明けのエピソードを楽しみにしてる自分がいます。
>尾田さんは死んでいて替え玉が書いてるのでは?と思うくらい新世界を境目にコロッとキャラクターの心情描写が浅くなってます。それは今の和の国フィナーレまでずっとそのままで、残念でなりません。
全く同感です。なぜこんなことになってしまったのか、理解に苦しみますし残念でなりません。私が大好きだったワンピースの個性豊かなキャラクターたちは、新世界編以降、全員心を失い、ただの作者の操り人形と化してしまいました。
>YouTubeで担当編集者の様子を見たんですが、尾田さんが本当にギリギリに原稿を出してくるのでブラッシュアップする暇もない。編集者も手放しで、これは面白いと大して面白くもないものにOK出してました。
私も同じ映像を見て、その様子に落胆した一人です。たしか“「ワノ国編」前半がつまらない理由”の記事でも触れているはずです。
>まあなんだかんだで最後まで読みたい漫画だし、今の休載明けのエピソードを楽しみにしてる自分がいます。
私も同じです。休載明けの1話に期待したいと思います。
30代半ばです。中学生の時にワンピースはまっていましたし、周りも全員読んでいました。今はワンピースは早く終われと嫌悪の対象になってしまっています笑
考察すごく面白かったです。なべおつさんのワンピース愛が感じられました。
個人的な考察だと20代でワンピースを始めてしまって大当たりした尾田先生の精神性がそこで止まってしまいそこから天狗になってしまったのがつまらなさの原因かな、と思っています。まだ若く社会性がないうちに何を書いても読者に褒められる…編集部も尾田先生のご機嫌伺いになってしまい忠言することが出来なくなってしまった。
それでもまあまあ売れているからいいか…そしてこの状態。
尾田先生は次作は当たらないと思います。作家としての基盤が脆い。そして誰のアドバイスも効かないでしょう。要するに自己満足作家として固まってしまったのだと思うのです。
本来であればワンピースをスラムダンクのように絶頂のまま終わらせるべきだった。そして尾田先生がこうなる前に次作を書かせるべきだった。それが当たるにしても当たらないにしても作家としての地力がそこでつく。
今はもう無理でしょうね。尾田先生が自分の自己満足に気づくまでは。
コメントありがとうございます!
>まだ若く社会性がないうちに何を書いても読者に褒められる…編集部も尾田先生のご機嫌伺いになってしまい忠言することが出来なくなってしまった。それでもまあまあ売れているからいいか…そしてこの状態。
おっしゃる通りだと思います。特に「それでもまあまあ売れているからいいか…」というのはまさにその状態で、編集部は尾田先生に何か意見することのメリットがないという判断をしているのかもしれません。
>尾田先生は次作は当たらないと思います。作家としての基盤が脆い。そして誰のアドバイスも効かないでしょう。要するに自己満足作家として固まってしまったのだと思うのです。
そうですね、今のワンピースのようにキャラクターが心を持たず、全員が尾田先生の分身のような漫画ではヒットすることはないでしょね。今のワンピースは前半の海の貯金で持っているだけで、最初から今のノリで描かれていたら途中で打ち切りになっていたと思うので笑
安定のこじつけ批判ゴミブログで安心しました
ご自分こそ論理的な批判ができずゴミみたいなコメントしかできてないことを自覚してくださいね笑